自己紹介「少年時代編」
わたしは東北の日本海側で生まれ育ち、両親と妻1人と娘3人で暮らしています。
まもなく54歳になりますが、現在は派遣社員として働きながら、インターネットを利用して「稼ぐ」ことを本業とすべく
日夜?学びながら楽しく?生活しています。
わたしの親は俗にいう「兼業農家」でメインに米を作り農繁期以外は、地元の工場などで働きながら、生計を立てているという家庭で育ちました。
わたしは3人兄姉の末っ子で、7つ上の姉と3つ上の兄がいます。
じいちゃんとばあちゃんは、よく可愛がってくれたんで両親よりも近い感じがしてましたね。
裕福な家庭ではありませんでしたが、すくすく?と育ったわたしは小学6年の2月に学校の裏山で友達数人とスキーをしていて右足を骨折し、卒業式と中学の入学式は入場行進に入れず最初から最後まで一人でポツ~ン。
「なんかおれ、超目立ってるぜ!」なんて余裕もなく、妙な緊張感でドキドキでしたね。
中学では野球部に入ったんですけど最初の2カ月は動けず、スコアラーやってました。
入部当初は骨折の影響もあり、けっこう体系がぽっちゃりだったんですね。
でも、ギプスがとれ動けるようになってから身体が締まり?身長も伸びて、気が付いたら兄貴よりも背が高くなってました。
そしたらなんと!
人生初のモテ期!? キタァー!!
先輩の女子から帰り道同じ方向だから一緒に帰ろうか?とか、全然、意識してなかった同級生からチョコもらったりとか、
進級してからは後輩の女の子からお手紙らしきものもらったりと、あのころは「第1次モテ期」だったのかと。
でも、ガキんちょだったわたしはあまりピン!とこなかったんですね。
いま思えば「もったいないことしたな~」
そんなこんなで中学を卒業し、地元の工業高校に進みます。
中学の時に野球のセンスの無さを思い知らされたわたしは
高校では「帰宅部」に入ろうと決意していました。
※注:「帰宅部」とは授業が終わったら速攻帰宅する部である。
ところが、中学のときの野球部の先輩たちが「ホッケー部」に5、6人ほど入っていて「いま入ればすぐレギュラーだぞ~」とか「練習もきつくないし楽しいぞ~」とお誘い?にきてくれました!
いまとは違うかと思いますが、その当時は先輩の言うことを無下に断ったりできない空気があり…。
「帰宅部」を泣く泣く退部し「ホッケー部」に入部することになるのでした。
あっ!ホッケー部ってアイスホッケーじゃないほうですよ!
あまりメジャーなスポーツじゃないんで知らない人のほうが多いかもなので、簡単に説明すると「1チーム11人の構成」で野球の硬球みたいな固い球を、スティックという棒で打ったりドリブルしたりしてゴールに入れるってゲームです。
試合運びはサッカーと似ていますが、一番違うところは球を足で蹴ってはダメってとこです。
蹴ってもいいよ!って言われても固くて蹴れないすけど…。
高校の3年間は「部活」をけっこう楽しんでやってましたね。
国体予選の強化メンバーで合宿や遠征など、結果的にはとても楽しい高校生活だったな~と。
ただ1つ心残りは、中学の時から仲のよかったソフトボール部の女子に「一緒にインターハイ行こうね!」って言われてたのに、県予選で敗退してしまったことっす!
さて、次回は波乱万丈なサラリーマン編「免停?!そして停職処分!」
に突入します!
副業のすすめ!すずめじゃないよ~!
こんにちは!
ん?こんばんは!かな?
副活!あどばいざー Yojo(仮)と申します。
って、おまえ何もの?!
そう思われましたよね。
さすがです!当然の反応をされた、そこのあなた!
さ・す・が・です!
と、いうことで少しだけお付き合い頂ければ幸いです。
最近、仕事の方はお忙しいですか?
サービス残業の嵐で、自分の時間は減っているのに
サイフは膨らまない!なんてことになってないですか?
まだ子どもは学生だし、教育費もこれからまだまだ増えていく
住宅ローンの返済もあるし、会社での立場上たまには部下を飲みに
連れてってやらなきゃならない・・・。
会社の給料やボーナスは、なかなか上がらないけど
出費は増える一方!じゃないですか?
とりあえず「月に5万」いまの給料にプラスできる「副業」とかがあればな・・・。
なんて考えたことありません?
わかります!
痛いほどわかります!
そこで、私「副活!あどばいざー Yojo(仮)」は
あなたの「副業活動」のお手伝いをさせていただけないか?!
という、決して上から目線でないお話をさせていただきたいと
思います。
ところで、お前は何者なんだよ!!
と、突っ込みを入れられそうなので
わたしのことを知っていただくためにも「自己紹介」
させていただきますね。